1986年の夏から1987年の冬にかけて、ぼくはNYに住んでました。
英語ゼロ、知人ゼロ、コネゼロ、カネ…板金加工の仕事で貯めた千ドルくらい。
音楽をやろうとして、街角でギター弾いたりして、微妙なカネ稼ぎで暮らしてた。 それがこのカテゴリーに書かれてる事柄です。
N.Y.での一寸泣かせる話シリーズ(もまゆきゅブログ「歌心=猿心」のカテゴリ一覧に飛びます)

怖かったですね。無謀でした。他人には到底お勧めできない。
何が最も怖いか。やはり英語。言葉がわからない(なのに行った自分…)。意思疎通をどうやって…。
ところが、N.Y.は流石。誰もが、それでもコミュニケーションを取ってくる。困りながらですが、お互いに困ることを畏れない。
ハーレムに、よく遊びに行きました。危険でしたよ勿論。怖かったけれど、ありていに言って、時とともに慣れたんです。勿論そこに白人対黒人の対立は厳然とあって、東洋人であるぼくは何とか御目溢しだったのもあるかも。知らんけど(人生初知らんけどを使った)。
正直に書こうとしてるので、今となってはダーク歴史なことも、ここから触れます。
渡米前、ぼくは所謂サルサが大好きでした。
その理由は、パーカッショニストのペッカーによるライヴ・アルバムが、どうしようもなくサイコーだったからです。当時「ハラジュク・ライヴ」と題されたライヴ盤を、当時ぼくのうちに遊びに来てた友達に必ず聴かせました。相手がハードロック一辺倒であろうと、オフコースなモテ男だろうと、誰彼構わず。そして、間違いなくみんな大笑いして、「かまかまろん、かまかまろん!」を団地中に響けとばかりに大合唱することになった。盛り上がったなああの頃…。
サルサの本場は、まあキューバなのかも知れないが、それでも、ラティーナなどの雑誌で仕入れた情報には、こう書かれてた。
「ニューヨーク・サルサは最高だ」
と。
でも、そのニューヨークに住みついてほどなく、ぼくはサルサを聴かなくなったんです。理由は、ふたつ。
ところで。
差別は、何故起こるのだろう、とか、皆さん考えますかね?
ぼくは、「黒」という色の持つある種の禍々しさと美しさと優しさと未来を、童話にしたことがあります。3人組の仲の悪い楽団が、旅で訪れた街を混乱に陥れてしまう。しかし本当はそこには美しい優しい何かがあって、主人公が最後に漸くそれに気付き、いつか少しずつ皆が気付いていくだろう…という、「絶望の先の希望」の話。
その物語に登場する楽団のモデルになっているのは、言うまでもないでしょう、イエロー・マジック・オーケストラです。東洋的オリエンタリズムを音楽にもビジュアルにもコンセプトにも多く含んだそのバンドは、当時日本国内では賛否両論を巻き起こしました。ヨーロッパでもアメリカでも、非は少なめ。でも国内は、反発はとても大きかった。ぼくは、そこがちと違いましたが、今はそれは本筋ではないので通り過ぎて、視覚的属性と差別の話という超絶タブーに踏み込みます。これ、大変な話です。
サルサを聴かなくなったふたつの理由に話を戻します。
そのいち。1986年は、あのノリノリなサルサでさえ、かなり打ち込みが席巻してたこと。シモンズというシンセドラムのばぁぁーんが鳴り響き、キックはサルサには基本無いのに4つ打ちを始める。何しろ流行ってた音楽がそうだったから。これがつまんなかった。
そして禁断の、その2です。ニューヨークでサルサをやったり聴いたり踊ったりしてるのは、当然ながらプエルトリカンが多かった。彼等は、どうかすると英語もぼく以下だったりしながら、国籍はアメリカ人。生まれも育ちもアメリカ。同言語と近属性のコミュニティーを形成し、アメリカに馴染めない鬱憤を抱えていた。それでは何故、アメリカに馴染めなかったのだろう、となる前に、ぼくは、
「いやあプエルトリカンさぁ、悪くってもうみんな。集まって昼間っから街中でさ、ラジカセで踊って、消火栓ぶっ壊して水浴びして、…」
と、坊主憎けりゃ何とやら、サルサまで敬遠してしまった。
さてさて倒置法…それでは何故、
プエルトリカンはアメリカというものに馴染めなかったんだ?
言語が違い、だったら同言語のコミュニティーに集ってしまう、ここ迄は想像に難くない。いやいや、何処までも想像すれば想像に難くなんてないでしょう。止めないで、想像し続ける。
ミュージカルの傑作中の傑作、「ウエストサイド・ストーリー」(笑っちゃいますね、DVDよりもBlu-Rayの方がだーいぶ安い!)でシャーク団が歌う「アメリカ」で、男性陣と女性陣が掛け合いで歌う歌詞は、未来を信じる女性陣と、おれたちはその蚊帳の外で差別されてると訴える男性陣のやりとりで構成されています。いつかあの家に住む…いつまでもおれたちは仕事にもありつけやしない…という具合に。町山智浩さんの解説からは、プエルトリカン側だけでなくイタリア移民側にも、そして、人種の坩堝ニューヨーク全体が、差別と偏見と破れる夢とが覆いつくされているのがわかります。それでも彼等は何処へもいけないんです。あの混沌の正体はそれ。コミュニティー無しでは立ち行かない。そしてその立ち行かせる為のコミュニティーの磁場が、気付くと、対立を煽るともなく煽ってしまう。
ぼくは所謂不良じゃなかった。だから尾崎豊の歌詞に無粋にも違和感を憶えるクチでした。夜の校舎の窓ガラスを壊して回る?なにそれ?盗んだバイク?盗まれた人だってバイトでやっと買ったんじゃないの?なんて。消火栓を壊して水浴びしたこともない。ニューヨーク名物でもあったそんな光景は、白人ばかりの地域ではめったに見られない。決まって黒人かプエルトリコ系の地域でした。マンハッタンの暮らしに適応し始めるとそんなぼくも、一緒に水浴びたりしてきゃあきゃあ言ってたけどね、最後には。そう、慣れて、馴染むと、恐れなくなり、お互いに警戒もしなくなる。ぼくも彼等も、片言の英語で、音楽で、コミュニケイトする。
ん?アジア人は?コリアンはどうだった・チャイナタウンはどうだった?
そこを考えることは途轍もなく気が重いです。何故かというと、地球を覆っている偏見の全てを説明してしまうことになりかねないから。
白人は、ヨーロッパ内で戦争を繰り返し、ヨーロッパを出てアジアを、アフリカを、インドを、南米を、宗教と、暴力で、蹂躙してきました。彼等は聖書なるものを盾に黒人を人間と見做さず、白人こそが唯一の人間であるかのように。その他のあらゆる民族に対しても上位概念としての自分達を印象付けたがっているように感じます。そしてその民族カーストの中で、中国人は古代から戦略とビジネスに長けていて油断ならないと警戒し、東洋人の中でもとりわけ90年代に入った頃から日本人を、舐めてもコケにしてもいいように扱っています。
いやもううんざりを通り越して絶望するような話、これはいったい何か…。
これは、
「排外主義」
です。
排外主義の萌芽は、こんな風に始まるんです。
馬鹿っぽい!
もっとよく考えないと。頭を使わないと。
70年代の終わり頃から、日本は世界の何処にでも進出する金持ちになりました。海外に進出し、土地を、企業を買い、マンハッタンを丸ごと買えるとさえ言われ、世界中の高級ホテルを買いまくり、現地の人達の神経を逆撫でするようなことを山ほどしたんです。マンガみたいなことも(半村良さん凄い)。かつて「侍」と呼ばれ、空手や柔道や忍者や、勤勉さや技術力の高さを尊敬された日の出ずる国も、やがて衰退して、ここ20年以上はもう国際的には哀れまれる位置になっています。安い物価。気弱な国民性。成長の見込みもなく、そもそも選挙ですら主体的に機能してない。アメリカもヨーロッパも、右翼的な過激政権に染まっていく中で、日本はまだその歩みが遅い。投票すらまともにしないおかげで。
この辺りから、ぼくの本領が発揮される。
もう20年位前だろうか。「非国民」と言われたことがあります。勿論当時としては冗談で。単に、理由は、ぼくはサッカーの日本代表を熱心に応援してなくて、何となく世界の何処でもカッコいいチームや選手を好きだったり、或いはそれ程熱中してなかっただけで、職場の会話の中で、
「非国民!」
と言われた。再三ですが、冗談の範囲で。そしてぼくはそう言われたことに対して、今も記憶してる位だからそれなりにインパクトは感じたんだけど、とは言え痛くも痒くもなかった。だって、事実だから。日本人だからって日本を応援するとか、県代表を応援するとか、母校の応援するとか、全然なかった。友達だった、いやせめて知人だったら、そりゃあもう応援しますよ。もしかすると勝ったら泣いたりするかも。でも、同郷だからどうのこうのっていうのは、…きっと皆反対だろうけど、ぼくに言わせればそれは戦争の萌芽です。皆が、自分を大事にして、コミュニティーを尊重して、それでいい。特に民族をどうこうとかに寄りかかるつもりが、まるで希薄だった。だったって言うか、今もです。ぼくは、日本人であることの誇りとか、コンプレックスとか、多分ゼロではないけれど「極力そんなものに寄り掛からない」ようにしてるんです。N.Y.に住んでたときも、単独行動してる日本人は珍しかったのか、中国系や韓国系によく間違われました。正直嬉しかったですね。だってあの街でどちらも元気でポジティブだった。日本人は、羽振りが良かった割に冴えなかった。でもそこで、その日本人達を鼓舞するって発想がぼくにはないんです。そんな調子だし、所謂愛国者って人達の気持ちは殆どわからない。伝統とか習慣とかで染み付いていて、味噌汁とか、お辞儀する挨拶とか、わびさびとか、邦楽も、好きです。でも、帰属とかこちら側あちら側とか、ましてや、排除なんて、絶対にイヤだ。
絶対に。
何故でしょうね。英語も出来ない東洋人としての半年の中で、怖かったし、なめられたことも数知れないし、よく生きてたという局面も何度も。それでも自分の中に確固たる信念がありました。あのニューヨークでさえ、ぼくは変わり者扱いされてきた。ゲイのパーティーに入り込んだときも、
「あいつは変わってるから手を出すのはやめとこう」
という風に、遠巻きに見られた。比率で言ったら彼等の変わり者っぷりはぼくの20倍くらいだった筈。ファッションも、毒舌も、あらゆるところに顔をのぞかせるそのセンスも。でも、その中で浮くんですよぼくは。理由も(お互いに)わからずに。それでも追い出されたり殴られたりビールかけられたりしなかったけどね。
だからこそなのか、排除とか排外とか、しない。あれはカッコ悪い奴がするものだ。N.Y.だったこともきっと大きい。
もう一度ぼくの書いた童話の話に戻るのですが、…非常に…、怖いです。勇気をふり絞って書きます。
「色」には、何か力があるでしょうか。
肌の色、ルーツ、民族、文化、趣味趣向、そうしたわかり易いものでなくとも、郷土意識なんていう殆ど共通項にもならないようなもの含め、あらゆるものが、ぼく等を分断します。排他的であることを喜んだり怒ったり、認めつつも避けたり、認めさえしなかったり。対立はどうかするとそれ自体が快感にさえなってしまう。今の迷惑系ユーチューバーの顔つきを見ていると、或いは右っぽい政治家の顔つきをみていると、…そういう風にしか生きられなくなった顔、理性も知性も諦めたのか嫌ってるのか信じてない、そう顔に書いてある。そして、世界中の、自分を含む誰の顔にも、程度の差こそあれそう書いてある。ボクシングで実力が拮抗している選手同士が闘う場合、赤コーナーの方が青コーナーよりも勝率がやや高いというデータがあるそうです。
マーケティングの世界では、オレンジなどの暖色は一般消費者にアピールし、紺などは法人向けに信頼感をアピールするとされています。
白は、ニュートラルで、黒は、ネガティヴ。それはお葬式の文化があらゆる民族でそうされているケースが多いことからも窺えます。
色は、イメージとして、脳に作用する。きっとそれは本当なんだと想います。
しかし、それは正しいですか?そんな直感だか催眠みたいなものに影響されて本来の判断を出来なくなって、いいの?人間には、色に影響される感性があり、まあまあ動物にだってそんなのはある。でもそれで釣られるんでいいのか?黒は美しい。美しくないオレンジだってあるように黒にも美しい黒と普通の黒がある。それを、体験と好奇心と何よりも知性と理性で、人間は受け止めたり出来る。
人種?人種で判断?それ、ぼくは馬鹿のやる脊椎判断にしか想えないです。馬鹿でいてはダメです。
Black Lives Matterという運動を憶えてますか?もう世間はかなりそれを忘れつつあるようで本当に恐ろしいし呆れる。あふりかん・アメリカンのコミュニティーにも、権利と敬意をというメッセージに対して、さもしい顔をして(敢えて高市引用!)All Lives Matterつまり全員が、全てが同等だというスローガンが飛び交ったことがありました。ぼくは勿論そんなAllなんて言い分には反対です。何故なら、…
何故ならですね、全然振り出しが対等ではないからです!
今、フェアですか?
迷惑系youtuberを見ていると(アクセス数をくれてやるのがイヤなので滅多に見ませんが)、ああいう風にしか生きられなかったんだろうなと察しますが、賛同なんて1ミリもしない。
他人を簡単に釣れるバカだと想ってないとあんなグロテスクなことは出来ないでしょう。ぼくがもしグロテスクなことをやったり、或いは好きだったりするときは、観る人聴く人を信じて、託す。
さて。
ワールド・ハピネスというフェスにモンゴル800が出演したことがあります。知ってます?モンパチ。ヒット曲に疎過ぎるのはぼくだけで、みんな憶えてますかね、あの大ヒットを飛ばした沖縄のバンド。彼等が演奏を終えた後、かみ手側で踊っていた一群が、カチャーシーという沖縄独特の踊りを始めました。1分くらい、彼等だけで踊っていたのをしも手側にいたぼくは、観ながら、輪に入っていけないし、一寸離れたくなるし、同じ日本人同士でさえこんな風に感じてしまうものなのか…と、秘かに自己嫌悪と恐怖を憶えました。正直に言うと「理性」とか「知性」という言葉、好きではないです。だけどそれでしか始められないことだってある。自分の内なる悪意や間抜けを、学んできた知性やまだ手放してない理性で、軌道修正し、世界や周囲や自分を少しでもゆっくりでもましにしてく。その為に、今フェアじゃないことを変えていく。
サルサの話に戻ります。凄いな、倒置法を使いまくりな文章だ。
今はね、もう色々と違う。17歳の頃と。
まず、どんなに盛り上がってもちゃんと他人の気持ちを考える。団地中に響かせる?しませんそんなことは。衝動的な反発心に乗っかって悪態をつくことなんて、もうぼくには快楽じゃない。自分が笑顔になったり、誰かが笑顔になったり、感謝しあったりする方がいい。そして閉じたコミュニティーに(それがたとえ「青春」とか一見個人的で比較的美しいシロモノであっても)操られたくない。やりたくないことをやらされると反発しますが、TPOをその都度考える。
考えるんです。今自分は何をしているかを。